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国宝 26.06.14
アマプラ配信開始。観ました。
映像、なるほど。
撮影監督ソフィアン・エル・ファニ、僕とほぼ同世代。
伝統的な映画撮影技術に新たなエッセンスを取り入れる。
手ブレもありな手持ち撮影のアクションカメラのアプローチ、ボケや多様な画角といったフルサイズミラーレスカメラのアプローチ。
そして不気味なほどにリアルなCG。
SNSが当たり前になった2020年代から見た、日本の戦後の昭和と平成の姿がここには映っている。
さらにはカラーグレーディング。
富士フイルムのフイルムシミュレーションで言えば、プロビアとクラシックネガの世界を行き来しながら、色彩で人を惑わす。特にあの赤は。
なんとも写真の沼にひきずりこまれた人間には、励まされる映画でありました。
この場所も国宝。熊谷妻沼の聖天さま。これは富士フイルム機材でリアラエースで撮ったもの。
バブルという言葉が巷を賑わせた頃の色味かな。

最初の写真集 26.06.13
片瀬碧、初めての写真集。リリースしました。
本当に、苦しかった。
写真集を出すということの重み。それが薄い一冊であっても。
紙も拘りました。
写真の現像プロセスも拘りました。
Worksにある写真とは、青の発色は別物であることが、手に取った方には、分かっていただけるはずです。

最後の「前衛」 26.06.10
品川キヤノンSギャラリーへ。広田尚敬さんの写真展、見てきました。
さて、これは「鉄道写真」なのだろうか。
広田さんは紛れもなく、日本の戦後の出版文化の中で、その表現を披露して来た方。
でも、ここにある表現は、そんな鉄道出版界隈で流通するようなイメージとは、どこか、いや、かなり違う。
広田さんの表現には、「20世紀前衛」の匂いがする。
カッサンドルの「ノールエキスプレス」、オネゲルの「パシフィック231」といったフランスでのアールデコのアプローチ。
イタリア未来派から始まりバウハウスに受け継がれたようなドイツ的な写真表現の実験性。
そんな20世紀前半の手触りが、2026年に生々しく受け継がれている。
「動止フォト」をマリネッティやマン・レイと言った人々が見たら、どんな言葉を残すのだろう。
この巨大写真集は、20世紀最後の「前衛」、その結晶。

家庭画報 26.06.04
いつもの美容室。
ヘアカラーの待機時間中、美容師さんが手元に置いてくれた雑誌が家庭画報。
豪華列車特集。
写真がほんとうに素晴らしい。
特に「四国まんなか千年ものがたり」。仲間由紀恵さんが車内から渓谷を眺める見開き、どうやって撮ったのだろう。車内からこんなに綺麗に外が見えるなんて。
ガラスの映り込み、車外の電柱や電線類も避けたタイミング、流石に然るべき場所に列車を止めて撮ったとしか思えないけど。
そして坪尻駅での仲間さんと列車正面のカット、これもすごくいい。
色んな意味でプロの仕事を痛感する。凄いなあ。こういう仕事に触れらるのは、やはり雑誌の醍醐味ね。
紙の本、老眼には読むの辛いけど笑。

写真集試し刷り 26.06.01
一作目の写真集、試し刷りが上がってきました。
予想以上の仕上がりである一方、まだまだ詰めたい箇所もあり、再挑戦することにしました。
写真集制作、こんなに大変なものだとは。
撮影とは違う神経をジリジリと使い、しかも仕事の苦行に近いものがあります。
撮影は正直、リズムでできる。
身体に投げ掛ければ、返ってくる。
でも写真集編集は、それができない。
自分の見たくない部分を常に、じっと見ている感覚がある。
まだ展示の方が、気持ちが楽です。
まさに、産みの苦しみです。
なんとか今月中には披露できるよう、頑張ります。

明るい部屋 26.05.25
ロラン・バルト「明るい部屋」 - 写真についての覚書。
原題”LA CHAMRE CLAIRE”
早く読めばよかった。いや、今の私だから読めたのだろうか。
この本自体が、プンクトゥム”Punctum”。
被写体として追いかけていた、かつ、追いかけているもの自体が、「それは=かつて=あった」だからだろうか。
何度も読み返すのだろうな。
そして、その度、脳裏に焼き付く言葉は違ってくるのだろう、と思う。

津和野 初夏 26.05.24
ゴールデンウィーク明けの土日、今シーズン初めての山口線訪問。
田植え直前、水鏡狙いの皆さんで沿線は賑わっていた。
カメラ自体持ち出すのは久しぶり、間抜けなミスもあって反省点多いけど、それなりに撮れたと思う。
初めての津和野宿泊。
お世話になったのは、SHIKINOKASHA くらしのやど、ちょっと言葉にならないくらいに感動した素晴らしい一夜。
縁側に座りながら、美しいお庭を眺めつつ、日本酒と傾けて簡素な夕ご飯。
そして夜、散歩へ。
昼間は賑やかな本町通りも、すっかり静寂に包まれて。
見上げるとクッキリと北斗七星。横浜はもちろん、地元の信州諏訪でもここまで美しい夜空を見たことはない。あの北極星は、何か私が目指す方向を指し示しているのだろうか。
翌朝はお願いしていた素晴らしい朝食。
オーナーさんお二人との楽しいお話。そう、津和野もSLやまぐちも凄いんですよ。奇跡なんですよ、本当に。
特別な思い出、ありがとうございました。
津和野はどこか、信州下諏訪に似ている。

SLやまぐち D51 200 26.05.06
ここ最近、山口線へ通っています。
D51 200の迫力、美しい沿線風景、架線の無いシンプルな線路、運転士さんも沿線の皆さんも撮り鉄も皆さん笑顔。
こういう空気感、関東にはないなあ。
高崎で眠っているD51 498、走行風景をなん度も見たけれど、残念ながら出力が抑制されていて、どこか解毒されている。あくまでも、客寄せのためのツールなんだなと。
現役時代の整備が現在も行われているD51 200、宮野から篠目に向けての急勾配を喘いで登る姿、調整弁から吹き上がる蒸気とその音、煙の臨場感、全てが格が違う。
いや、日本全国線路があるところは、これが走っていたのだと。
高速道路は夢のまた夢、国道だって未舗装一車線が当たり前な時代、汽車は唯一の外界へ通じる窓口。
決まった時間に山々に木魂した汽笛は、人や物だけではなくて「時間」という概念を浸透させていったのでしょうね。
まさに国家の体現だった、そんなちょっと大袈裟な感想を抱きながらカメラを構えてしまうのは、私の悪い癖。

片瀬碧、始まります 26.05.05
手にカメラを持って再び線路際に佇むようになったのは、2018年頃からでしょうか。
高校生までは鉄道少年でした。それから30年。あの頃当たり前だった風景、でもそれらは今、滅びようとしている。鉄道を知っている人なら、それはみんな、分かっていること。
永い旅がもうすぐ終わります。
小さな写真集「旅の終わり 記憶の始まり」、シリーズで作成を始めます。
まずは濃青とクリーム色の無骨な機関車EF64 1000で。
私を知っている人なら、白と緑の電車ではなく、この機関車で始めるのは意外かもしれない。
でも、ずっと子供の頃から日常の風景にあったのは、この機関車でした。
さて何時ごろ出来上がるのか、また先が見えたらここにアップします。
